創業者の横顔

創業者、堀池友治の横顔

当社の創業者である堀池友治は、定型的な略歴や所信によって紹介するには相応しくない人物です。ボウリングの普及に絶えず指導的な役割を果たしながらブームのさ中に撤退したことは、合理的な判断基準があったにせよ、普通はできないこと、多くの人の間で語り草になっています。また、経済が右肩上がりで、やがてバブル経済に突入する時代までは借金をして企業を大きくするのが経営者の責務という感がありましたが、彼は銀行からの投資や融資の誘いを断り続け、借金ゼロ企業、小さくてもユニークな企業を目指しました。借金は20年前に完済し、多角化した事業のいくつかは整理して当社ならではという事業に特化しています。

歴代の自民党総裁や閣僚が事務所や直営レストランに訪れるので、彼を政商ではないかと訝る向きがあります。そうでないことは、堀池の著書「布衣之交」(平成2年6月発行)の出版に際し、 親友の田川氏と新井氏から寄せられた序文を読めばわかります。 彼の人となりを短い文章で端的に表しているので、ここに紹介します。

著者、堀池友治さんと私の交わりは長い。私が松村謙三先生の秘書をつとめていたころからだから三十数年にもなる。

この長い親交の中で、堀池さんの交友の広さには驚くばかりである。政・財・官をはじめあらゆる分野の人々とのつながりを持ち、海外にも知己が少なくない。正義感のひと一倍強い人だから、いわゆる〝八方美人〟な付き合いとは違う。利害打算で働くとみられる人とは常に一線を画すことを忘れない。心にもないことを言って人の歓心を買うような真似はできないのが身上で、思っていることをズバリ直言する。

堀池さんが日中関係の大先達、宮崎龍介、松村謙三両氏をはじめ事業の先輩、宮川三郎氏のように年が親子ほども違う〝賢人〟たちからかわいがられていたのも、こうした堀池さんの性格によるものと思う。

まだ回想録などを残す年ではないが、自ら地位や公職を求めるようなことは好まず、「これは」という人材には、先輩、後輩の別なく、裏方に徹して育てようとする今どき珍しい経済人である。

本書は、幅広い交友と事業を通じて体験した想い出を、皇居のお濠端を見下ろす社長室で、仕事の余暇にまとめたものである。著者のカミソリのような鋭い性格からすると、少し控え目な表現で筆を運んでいるが、事業や趣味をめぐる随想とか、政財界指導者の生きざまの片鱗をうかがえて面白い。

著書のタイトル「布(ふ)衣(い)之(の)交(まじわり)」は「史記」の中の「布衣之交、尚不相欺」という一句から引用したもので、「布衣」は中国の言葉で「庶民の服」という意味で、転じて官位のない、身分の低い人を指す。お互いに地位や身分を超えて付き合うことを言うのであって、人間・堀池友治さんの回想録にはピッタリする。

進歩党代表・衆議院議員 田 川 誠 一

堀池友治という人は独自の風合い、肌合いをもつ人物である。並みの事業家、経営者という尺度では測れない快男児である。昭和20年代末期、私が私淑し尊敬した故松村謙三先生を通じて知り合って依頼30数年間、ほんとに気の措けない親しい友人として交際してきた。

事業家としての彼は卓抜な先見性のあるカンと度胸で次ぎ次ぎと事業を展開し、成功してきた。大企業の中でヌクヌクと育ったいわゆるサラリーマン経営者では全くない。どだい発想が違うのである。

もう一つは政治家との関わりである。いずれも時代の節目に大きな役割を果たしながら政治の頂点に達し得なかった人達と妙にウマが合うのであろう。浄財を投じそして献身的に奔走するのである。見方によれば戦後の政治体制の変化の中では異端者ともみられる人達との深い交りである。

主流派を追わず、いわば判官びいきのところがある。

その意味では堀池さんは反骨の事業家といえるかも知れない。

私が彼の依頼で「月刊スターレーン」の政治欄に寄稿した記事は私にとっても、血のたぎる現役記者時代の懐かしいモニュメントである。

本文を読めば当時の快男児、堀池友治の「生きざま」がそこはかとなく感得できるであろう。

日本経済新聞社 社長 新 井 明

堀池友治 Tomoji Horiike
創業者 堀池友治 Tomoji Horiike